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東京地方裁判所 昭和28年(ワ)7177号 判決

原告 原宏

被告 株式会社 朝日新聞社

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金五十万円及びこれに対する昭和二十八年九月六日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払い且つ左記謝罪広告文を、朝日新聞の紙上に表題の「謝罪文」は二号活字、広告名義人の「朝日新聞社」及び名宛人の「原宏殿」は三号活字、その他は普通活字を用い右使用活字に相応する行間を保つ全文二段抜の組方を以て、掲載せよ。

謝罪文

昭和二十七年九月九日附及同月十日附の朝日新聞紙上に、貴殿が、同月八日夜八時頃国電荻窪駅北口広場で某候補の選挙演説中トラツクの演台に飛乗り聴集に向い「亡国の演説を聞くものは火焔ビンをぶつけるぞ、帰れ、帰れ」と怒鳴り、外五、六人の仲間と選挙妨害をした旨の記事を掲載しましたが右は全く事実無根であり、貴殿の名誉を毀損すること甚しいものでありますので誠に申訳なく茲に陳謝する次第であります。

昭和 年 月 日

株式会社朝日新聞社

代表者取締役

加藤祇文

東京都練馬区関町三丁目一一五番地

原宏殿

訴訟費用は被告の負担とする」との判決、竝びに金員の支払を求める部分につき仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、

被告は発行部数数百万を算し全国に購読者を有する日刊紙「朝日新聞の発行竝びに雑誌等の刊行を業とする株式会社であるが、昭和二十七年九月九日附夕刊として発行した朝日新聞の紙上に、「都で初の選挙違反」と題し「八日夜八時ごろ国電荻窪駅北口広場で某候補が選挙演説をしていると、三十五、六歳会社員風の男がトラツクの演台に飛乗り群集に向い、『亡国の演説を聞くものには火炎ビンをぶつけるぞ、帰れ帰れ』、とどなりはじめた。荻窪署でその男を選挙法違反で逮捕、留置したが、黙秘権を使つている。この男は共産党の選挙関係のプリントなどを持つている。都内でははじめての選挙違反だと同署ではいつている。」との記事を掲載し、次で同月十日附朝刊として発行した同新聞の紙上に、「税務吏と判る都内の選挙違反第一号」と題し、「東京都内の選挙違反第一号として八日夜、荻窪署に捕つた男は黙秘権を使つていたが、九日午後、東京都練馬区石神井関町三ノ一一五、都杉並税務事務所事業税係原宏(三四)と判つた。同署は原の自宅から共産党の選挙資料を押収したが、さらに八日夜、荻窪駅前で原と一緒に選挙妨害をした五、六人の仲間も追及している。」との記事を掲載した。しかしながら、原告は右夕刊紙記載の日時場所においては、自由党公認候補野田豊の選挙演説を聴き、右演説終了後右候補者に質問をなしたに止まり、それ以上の行動をなした覚は全くなく、又右夕刊竝びに朝刊紙記載のように共産党の選挙関係のプリント乃至選挙資料を身辺に所持したこともないのであつて、右新聞記事は事実無根も甚しく、これがため原告は痛く名誉毀損され精神上多大の打撃を蒙つた。しかして、元来新聞社の経営を担当する者竝びに新聞記事の取材編集に当る者は、犯罪記事を取扱うに際しては事実の真相を十分に調査し記事の正確を期すべき注意義務があるものであるところ、被告会社は膨大な取材編集の機構を有し、その発行する新聞の記事も社会的に権威があるものとされているから、いやしくも事実と相違する前記報道をなした以上、これにつき経営担当者又は取材編集担当者の故意又は過失があつたものと推認さるべきである。仮にかかる推定が許されないとしても、被告は従来とかく犯罪記事の取扱に関し、捜査当局の発表のみに依拠してこれが裏付調査を為さず又これに何等の検討をも加えず、甚だ慎重を欠き、屡々軽卒な報道をなして憚らず、かかる取材の方法を以て一種の営業方針となしていたが、かような営業方針が許さるべきものでないことは新聞社の経営担当者に前記のような注意義務がある以上当然である。しかるに、被告会社の代表機関は本件記事の掲載にあたり、右注意義務を怠り、漫然従前の営業方針を踏襲し、右記事の取材又は編集に関し、担当社員の採用した軽卒な方法を支持承認し又は少くともこれを許容した。即ち本件報道によつて原告の蒙つた損害は、被告会社代表機関の職務執行上における故意又は過失によつて生じたものであり、従つて被告会社は当然に右不法行為の責任を負担すべきである。仮に被告会社代表機関の故意、過失が認められないとしても、被告会社の新聞記者は本件記事の取材にあたり、前記のような注意義務を怠り捜査当局の発表による伝聞を真実であると軽信し、当時その真否を調査する裏付取材の手段が多数残されていたのにこれによる調査をなさず、右発表のみによつていわゆる間接取材をなし、これを編集担当者に報告し、被告会社の社会部長宮本英夫を始めとする編集担当者も亦本件記事を編集するにあたり、右同様の注意義務を怠り、右報告になんらの検討も加えず、いわゆる直接取材によるかのような印象を与える断言的表現を用いて記事に掲載した。即ち、原告の前記損害は被告会社の被用者が被告会社の事業執行上故意又は少くとも過失に基き加えたものであり、従つて被告会社は使用者として右不法行為の責任を負担すべきである。原告は東京都杉並税務事務所に勤務する当三十余歳の地方公務員であつて、相当の地位と信用とを有するものであるが、被告発行の新聞に対する社会的評価が大きいだけに、原告の名誉毀損の程度も甚しく、しかも被告においてその後記事の訂正をしないので、いまだこれが回復をみていない。従つて原告の精神的損害に対する慰藉料は、金五十万円を降ることを得ないのみならず、単にその支払があるだけでは原告に加えられた悪評は払拭さるべくもないから、原告の名誉を回復する措置として、謝罪広告をなさしめるのが相当である。よつて原告は被告に対し請求の趣旨掲記の判決を求めるものであると述べた。〈立証省略〉

被告訴訟代理人は主文第一項同旨の判決を求め答弁として、原告主張事実中被告が原告主張のような新聞雑誌の刊行を業とする株式会社であり、原告主張の新聞紙上に原告主張のような記事を掲載したことは認めるがその余の事実はすべて争う。被告は新聞社として常に公正な立場から、社会に生起した事実を迅速正確に報道することを使命としているものであつて、本件記事の掲載も亦かかる使命を遂行したにすぎずなんら他意があつたものではないから、右記事中原告の犯罪容疑に関する事実といえども公共の利害に関する事実とみなされ、これを掲載した目的は専ら公益を図るに出たものと推認さるべきである。しかも右事実は記事掲載の時を基準としてその真否を判断する限りこれを真実なるものと認むべき客観的事情が存在したのであつて、全く虚偽であつたわけではない。従つて仮に右記事の掲載により原告の名誉が毀損されたとしても、刑法第二百三十条ノ二第一、二項の規定が存す関係上、被告会社の責任者に故意が成立する余地はない。もつとも、原告は本件記事掲載の容疑事実につき公訴を提起され無罪の判決を受けたが、右記事は原告にその容疑が存した事実並びにこれがため原告が逮捕留置された事実を摘示したに止まり、進んで原告が有罪なることを肯定したものでなく、一方右判決も原告につき容疑のような外形的事実の存在することを全く否定したものではなく、むしろこれをある程度肯定しながら法律的価値判断のもとに無罪の判定に到達したにすぎない。従つて右記事中原告に犯罪容疑の存する事実といえども、当時の見方としてあながち虚偽であつたとは謂い難いのである。いわんや右記事は検察官の起訴事実と大同小異であり、又右判決が結局は排斥した証言中にも右記事に符合する内容の供述がみられるにおいては益々その感を深くせざるを得ない。しかして又本件記事は捜査当局の発表により間接に取材したものではあるが、その裏付取材をなすにも当時原告は身柄拘束中であつて、直接原告から事情を聴取することができず、それならばとて第三者から有力な情報を入手することも困難であつたため、現場に臨んだ警察官から事情を聴取し、その結果当初の取材事実に相異がないことが確認されたのでこれを整理編集して記事掲載の運びとなつた。即ち右記事の掲載は間接取材に基くものとはいえ、その取材源が十分に信頼すべき筋のものであり、情況上これを真実なるものと信じるに足るものがあつたのである。このことは他紙にも同様の記事が掲載されたことによつても明らかである。しかも右取材の事実は東京都下における最初の選挙事犯として報道価値が高く、新聞紙の使命達成上他社との競争に遅れないように記事締切時限内に取材編集を遂げて特に迅速に報道することが望まれる性質の事件であつた。従つてかような場合において裏付調査のため更に時間と労力とを費すべく要求することは必要以上の負担を強いるものであつて到底首肯し難く、畢竟被告会社の責任者に記事掲載上の過失を責むべきいわれはない。なお本件記事は取材事実に多少の潤色を施し、且つ直接取材によるかのような印象を与える断言的表現が用いられ、又原告の党派を窮わせる事実にわたつているけれども、なんら侮辱の目的に出たものではなく、最も新聞社の機能に適した表現を以て結局は取材事実の叙述に終始しているのであるから、たとえ原告の名誉毀損を招来したとしても、社会的に許された正当業務の範囲に属しなんら不法の廉はない。と述べた。〈立証省略〉

理由

被告が発行部数数百万を算し全国に購読者を有する「朝日新聞」の発行並びに雑誌等の刊行を業とする新聞社であり、昭和二十七年九月九日附夕刊並びに同月十日附朝刊号を以て発行した朝日新聞の紙上に原告主張のような各標題のもとにその主張のような内容の記事を掲載したことは当事者間に争がない。

しかして原告は、右記事は(一)、原告が同月八日午後八時頃国電荻窪駅北口広場において選挙演説中の某候補のトラツクの演台に飛乗り群集に向い「亡国の演説を聞くものには火焔瓶をぶつけるぞ、帰れ、帰れ」、と怒鳴り始め原告と一緒に選挙妨害をした仲間が五、六人いるとなした点並びに(二)、原告が逮捕の時共産党の選挙関係プリントを所持し又自宅から共産党の選挙資料を押収されたとなした点において全く事実に反し、原告の名誉を毀損するものである旨を主張するので、その真否について判断する。

先づ(一)の点について。成立に争のない乙第六乃至第十号証には目撃者等の供述として、原告が前記タ刊記載の日時場所において自由党所属候補者野田豊の選挙演説最中同候補者に対し攻撃的な発言乃至罵声を浴せ又周囲の聴衆を煽動して演説を妨げようとしたことを窺わしめる記載があるけれども、右供述記載はにわかに措信し難くまして右夕刊記載のように原告が右候補者の選挙演説中トラツクの演台に飛乗り群集に向い「亡国の演説を聞く者には火焔瓶をぶつ付けるぞ、帰れ、帰れ」、と怒鳴り始めたこと、並びに前記朝刊記載のように原告と共同して選挙妨害をなした仲間が、五、六人いたことについてはこれを確認するに足る証拠がない。もつとも、成立に争のない甲第三号証、同第四号証の一乃至六を綜合すれば、原告は前記日時場所において(1) 、野田候補が小穴隆太郎等の選挙運動員とともにトラツクを演台としてマイクロフオーンを使用して街頭選挙演説会を開催中聴衆の最前列に加わり右演説を聴き、右演説会が終了しトラツクが野田候補等を乗せて立去ろうとした際右候補者に対して質問をなし中日貿易についての見解を訊したが、その答弁を不十分且つ不正確であるとしてこれに納得せず再度の答弁を求めたところ(2) 、右候補者がこれに応答せず小穴運動員が「馬鹿、うるさい、黙れ」と怒鳴つたので同人に対し、「そちらが馬鹿だ、自由党には委せられない」等と大声で応酬して更に答弁を求め、かえつて右候補者の選挙運動員広瀬スミから、「選挙妨害ではないか」と詰られるに及び、同人に対し「何を言うか、質問に答えられないから質問するのがどうして選挙妨害になるか」と反駁して小競合を演じ(3) 、野田候補がもはやこれに取合わずトラツクを進発せしめて立去つた後、余奮にかられて聴衆に向い「討論会を始めよう」と胃頭して中国に関する演説を始め、間もなく警察官に逮捕されたことが窺われるが、右認定の事実によつても、原告が当初から野田候補の選挙演説を妨害する意思を以て行動したものとは到底推認し得べくもなく、右(1) のように演説会終了後右候補者に質問をなし繰返して答弁を迫つたこともいまだ演説を妨害する程度のものとはなし難いのみならずあえて不当の行動とも考えられず、その後右(2) のように小穴、広瀬両運動員と応酬の末小競合を惹起したことも、その端を原告の重なる質問に発するとは謂えもはや原告ひとりの責に帰すべき成行ではないし、又右(3) のように野田候補等が演説会場を立去つた後自ら演説を始めたことに至つては、既に右候補者の演説会の域外に属しこれを妨害する行為が成立し得べきものでないことは明らかであつて、結局原告の右認定のような一連の行動は選挙の自由を妨害する所為として公職選挙法違反に問擬すべき限りではないのである。してみると、前記新聞記事は原告が選挙妨害をなしたことに関する限りその内容、表現とも事実に反するものと謂わなければならない。被告は右記事は原告がこれに掲載のような嫌疑を受け、これがため逮捕留置された事実を摘示したに止まり、進んで原告が有罪なることを肯定したものではない旨を主張するが、右記事はその全文を通読すれば、単に警察署がこれに掲載のような容疑で原告を逮捕した事実のみを摘示したものとは解し難く、むしろこれに加えて原告が右容疑のような行為をなしたと謂う社会的事実をも摘示したものと解する外はない。しかも右事実によれば、世人をして原告が選挙違反の罪を犯したものと思わしめるに足るものがあるのであつて原告の行動に関する前記認定の事実と距ること遠く、被告の右主張が採用に値しないことは明らかである。更に被告は新聞記事の内容たる事実の真否は記事掲載の時を基準として判断すべきであるとの前提のもとに、本件記事中原告の犯罪容疑に関する事実といえども当時の見方としてはあながち虚偽であつたとは謂い難い旨を主張するが、一個の事実の真否を判断するのに多数の基準時があるべき道理はないから、右主張の前提たる見解は歴史的事実も時日の経過によりその証明資料が喪われるため真実として是認せられなくなる可能性があるとの趣旨に理解しない限り正当ではない。しかしながらそのように解するにしても、かつて存在した資料によればある事実が認められこれこそ真実であると謂つてみても、現在その真否を判断する必要がある以上、動かし難い資料に基き現在においてもその真実なることが証明され得るのでないならば所詮実益はない。しかるに、本件記事中原告の犯罪に関する事実が真実であることを肯認するに足る証拠がないことは前説示のとおりである。たゞ成立に争のない乙第五号証、証人勝尾鐐三の証言並びに弁論の全趣旨によれば、警察官は原告を前記日時選挙違反の容疑で現行犯として逮捕したものであること、しかして東京地方検察庁検察官は右容疑の裏付資料を蒐集し、昭和二十七年九月二十六日附を以て原告を東京地方裁判所に起訴し、同裁判所の公判審理において右証拠資料並びに前記乙第六乃至第九号証記載のような目撃者等の証言を根拠に有罪の論告をなしたこと、その公訴事実は、本件原告は前記街頭演説会において野田候補が中共貿易に言及すると大声で「馬鹿野郎、売国奴、このような奴には火焔瓶をぶつ付けろ」等と罵声を浴せあるいは聴衆に向い「こんな演説は聴く必要はないから帰れ、帰れ」と呼号しその場を喧騒に至らしめて演説を妨害したと謂うのであつて、原告の選挙妨害の所為としては本件記事と大同小異であることが認められるけれども、前出甲第三号証によれば、右裁判所は審理の結果昭和二十八年七月七日検察官援用の証拠を排斥し、本件原告の所為につき前説示と同様の判断をなし、原告に対し無罪を言渡したことが認められるから、警察官並びに検察官の判断は結局原告に対する犯罪の嫌疑の程度を出でなかつたと謂う外なく、これを以て直ちに真相に合致するものはなし難いのである。畢竟被告の右主張は理由がない。

次に(二)の点について。原告が逮捕の時共産党の選挙関係プリントを所持し又自宅から同党の選挙資料を押収されたことはこれを認むべき証拠がないから、本件記事中この点に関する部分も亦事実に反するものと謂わざるを得ない。

そこで進んで本件記事が原告の名誉を毀損する不法行為を組成するか否かにつき考えてみると、元来新聞紙掲載の記事で他人の名誉を毀損する虞のある事項は、たとえそれが公共の利害に関連し専ら公益を図る目的に出たものであつても、当該記事が真実であることの証明がない場合においては、新聞社の責任者の故意過失に基く限り新聞社はこれにつき不法行為による損害賠償の責を免れないものと謂わなければならない。なぜならば、新聞紙は多数の購読者を擁し世論を喚起誘導する作用を有するから、公益を図るためとはいえもし他人の私行につき誤報をなすことがあれば、その報道は忽ち真実として世間に流布伝播され、これによつて当該私人の名誉が毀損されることが少くなく、他人の私行に関する記事については、新聞社の責任者は特に慎重を期し、記事の真実性、正確性を確め、その表現においてもみだりに他人の名誉を傷けないように配慮する等格別の注意を用うべき義務があるものであつて、もし故意、過失によつてこれを怠り他人の名誉を毀損するにおいては、不法行為を組成するものと謂わざるを得ないからである。しかしながら、他面において新聞紙はその性質上報道の迅速なることを要求され、又記事の内容についても紙面による制約を受けざるを得ないものであるから、前記注意義務の程度にも社会通念上自ら限界が存すると謂うべきであり、従つて犯罪事件が発生し容疑者が逮捕留置された事実を報道した場合において、その記事が終局的には真実に反し容疑者の名誉を毀損するものであつても、取材、編集に際し当該記事が真実であると信じるに足る相当の理由があつたとき例えば記事がその取材源たる情報提供者の誤断に基くものであつて新聞社の責任者が当該情報の真否を判断するにつき故意、過失があつたと認め難いときには、更に確実な裏付取材をなすべきであつたとして不法行為に問責することは当を得ないものと考える。しかしてその場合において、取材源を明らかにして間接取材にかかる事実なることを表現せず、直接取材によるかのような印象を与える断言的表現を用いて記事の掲載をなし、特に誤解を生じる虞があつたからとて、当該記事が結局は取材事実の叙述に終始する限り、新聞紙の機能上やむを得ない表現として是認するのが相当であつて故意、過失を責むべきいわれはなく、むしろ新聞社に許された正当の業務の範囲に属するものと謂わざるを得ない。

これを本件についてみると、先ず原告は被告会社は膨大な取材編集の機構を有しその発行する新聞の記事も社会的に権威のあるものとされているからいやしくも事実と相違する本件記事を掲載報道した以上経営担当者又は取材編集担当者の故意、過失を推定すべきである旨を主張するが、仮に原告主張のような前提事実が存在したとしてもこれによつて原告主張のような事実上の推認が生じるものではないし、又衡平の観念からしてもいまだ故意、過失の挙証責任を転換すべき合理的な根拠は見出せないから、原告の右主張は理由がない。次に原告は、被告は従来とかく犯罪記事の取扱に関し、捜査当局の発表のみに依拠してこれが裏付調査を為さず又これに何等の検討をも加えず、甚だ慎重を欠き屡々軽卒な報道をなして憚らず、かかる取材の方法を以て一種の営業方針となしていたが、被告会社の代表機関は本件記事の掲載にあたり漫然右営業方針を踏襲し、右記事の取材、編集に関し担当社員の採用した軽卒な方法を支持承認し又は少くともこれを許容した旨を主張するが、右主張事実は原告の全立証を以てしても到底これを認めることができない。その他本件記事の掲載が被告会社の代表機関の故意、過失に基くものであることについてはこれを認めるに足る証拠がない。次に原告は、本件記事の掲載は被告会社の取材担当記者並びに編集担当社員の故意、過失によるものである旨を主張するので、右記事掲載に至るまでの取材、編集の経緯につき審究すると、原本の存在並びに成立に争のない乙第二乃至第四号証(東京新聞、毎日新聞、読売新聞の昭和二十七年九月九日附各夕刊紙)の記載内容と本件記事の内容とを対比し証人進藤次郎、同宮本英夫、同前田雄二の各証言並びに弁論の全趣旨を併せ考えれば、前記のように原告が昭和二十七年九月八日選挙妨害の現行犯容疑で荻窪警察署に逮捕留置された後、被告会社の社員たる新聞記者は同日から翌同月九日にわたり、当時右犯罪事件の捜査を担当した右警察署の警察職員から右事件の概要並びに捜査の状況等を取材し、その都度原稿を本社に送付したところ、本社社会部においてこれを記事に採用し、同整理部においてこれを整理編集のうえ標題を付して本件新聞紙に掲載報道したものであることが窺われる。従つて、本件記事は被告会社の担当責任者が原告の名誉を毀損する悪意を以てこれを掲載したものと認められないのは勿論、その取材源が事件の捜査を担当した警察職員と謂う社会的にも信頼すべき筋とせられるものであつて、その間になんら疑を挿むべき情況も認められないから、被告会社の担当責任者は本件記事を真実であると信じるにつき相当の理由を有していたものと認めるのが相当である。原告は、本件の場合被告会社の担当責任者としては捜査当局の発表による伝聞の真否を調査する裏付取材が可能であつたのにかかる調査をなさず右発表によつて間接取材をなしたに止まるのみならずこれを直接取材によるかのような印象を与える断言的表現を以て記事に掲載報道したものであつて過失の責を免れない旨を主張するが、前記のように事件の捜査を担当した警察職員から記事の取材がなされた場合において、その事実が全く警察職員の捏造にすぎないと認められる情況が窺われたのなら格別、さような情況もないのに新聞社が一応これに疑を挿まなかつたからとて判断の軽卒を責めるのは酷にすぎるのみならず、たとえ被告新聞社が自主的調査によつて真否を確めるにしても、新聞記事として報道の迅速を要求される関係からして、事柄の性質上右取材以上に真相の探知をなし得べきものとも考えられない故、被告新聞社が更に裏付取材によつて真否を確めず、前記間接取材の事実を直ちに記事に掲載報道したことについてはなんら過失はなかつたものと考えるのが相当である。しかして又本件記事が間接取材によるものであることを明らかにせずあたかも直接取材によるかのような印象を与える断言的表現を具えていることは争えないところであるが、その全文を通読してもなんら侮辱的意思を表現したものとは看取し得られず、結局は取材事実の叙述に終始しているものと考える外はないから、右記事により原告の名誉が毀損される虞があつても、前説示に照し新聞紙に許容された正当業務の範囲に属し違法性が阻却され不法行為を組成しないものと謂わざるを得ない。よつて原告の右主張は採用しない。

それならば、事実に相違する本件記事の報道につき被告新聞社は不法行為上の責任を負うべきいわれがない。

以上の次第であるから、被告新聞社に名誉毀損の責任があるとする原告の本訴請求は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 福島逸雄 駒田駿太郎 荒井徳次郎)

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